※ヨンダツモリ※ 書評を読んで・・
2008 / 06 / 22 ( Sun ) なかなか本屋さんめぐりをすることができないので、時に「書評」を読んで「その本を読んだつもり」になっています。ですので日曜の朝日新聞の書評はわりと楽しみにしています。(アァ、相変わらずウスッペライ事です・・)
今日は桐野夏生さんのが、ちょっと心惹かれました。この人の文章は切れ味があります。そして、何故か、怖い・・。(怖い小説のイメージがあるからかな?)でも好きな作家さんです。 桐野さんの今回のは島尾敏雄の「死の棘」。 話の概略は知っていますけど・・。重すぎて、怖すぎて、手にとれないものでした。桐野さんのを読むとますますこわい・・(苦笑)。
夫の浮気を知った妻の狂気の話なのですが、私の性格とはかなーりかけ離れている(多分私なら慰謝料とってバイバイ!って性格だ)ので、共感できなさそうだし、読むのも重たそうだし・・と思っていたのですが、ちょっと年齢も重ねた事だし、少しは理解できるかも・・?と思いました(かと言って、同じ事をするとは到底思えませんけど)。 何故そう思ったかと言うと、桐野さんの文、 ーー引用ーー 「愛に生きることは、加害者や被害者を作ることではない。誰も悪くないのだ。が、あるきっかけから、確実に互いを蝕むものがどっかと根を下ろし、関係を捩らせていく。これで終わり、と底を打つこともなく、収まったように見えても、またぶり返し、延々と棘が心を刺し続けて、いつしか現実を変える。あるきっかけとは「不信」である。」 (中略) 愛は底なしのエゴである。だからすべての人間を平等に愛すること、愛とは言わないのである。そして、激しい愛は、相手の死をも含めたすべてを得体、とする営みなのだ。 ーー引用終わりーー この夫婦のようになるかはともかく、「棘」というものはありうるし、引用のような事も無きにしもあらずかも・・と思ったからです。「棘」をなくするのは、どうすればよいか?・・無理かな? でもまあ、ちょっとわかるかも・・。でもねぇ、実際には・・私には縁のないものですが。 と、思っていたのですが、この間読んだ「ラ・ロシュフコー箴言集 (岩波文庫)」には、 「狂気なしに生きる者は、自分で思うほど賢者ではない。」 と言う文があり、思わずふきました。ははは。 されど、されど、ですな。少しは、少しは、「狂気」わかるような気はします。だから以前は外していたこの「死の棘」、ちょっと読んでみたく思いましたのだ。齢をとるとは、悪い事ばかりではありませんな。 |
|
|
|
| ホーム |
|

