---- 今日の風は何色?
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万葉挽歌のこころ  夢と死の古代学 (角川選書)万葉挽歌のこころ 夢と死の古代学 (角川選書)
(2012/01/24)
上野 誠

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引越し前から少しずつ読んでいた本、漸く読み終わりました。
万葉集の挽歌論は、百家争鳴な感じなんんですが・・切り口がなかなか斬新。
しかも私の大好きな天智天皇の殯の時期に読まれた箇所九首を徹底的に読み込んで古代人の死生感を読み解こうとするものでした。

天智天皇が危篤状態となり、やがて崩御し、その後の大殯の后や仕えている者達の歌が時系列で並べられています。天武天皇の時も鵜野皇后の歌はありますが、他の妃達の歌はありません。

 天の原 振り放けみれば 大君の 御寿は長く 天足らしたり

 青旗の 木幡の上を 通ふとは 目には見れども 直に遭はぬかも

 人はよし 思ひ止むとも 玉かづら 影に見えつつ 忘らえぬかも (以上 倭大后)

  うつせみし 神に堪へねば 離れ居て 朝嘆く君 離り居て 我が恋ふる君
 玉ならば 手に巻き持ちて 衣なれば 脱く時もなく 我が恋ふる昨夜 夢に見えつる (婦人姓氏未詳)

 かくあらむの 心知りせば 大御船 泊てし泊まりに 標結はましを (額田王)

 やすみしし わご大君の 大御船 待ちか恋ふらむ 志賀の唐崎 (舎人吉年)

  いさなとり 近江の海を 沖離けて 漕ぎ来る船 辺に付きて 漕ぎ来る船
 沖つ櫂 いたくなはねそ 辺つ櫂 いたくなはねそ 若草の 夫の 思ふ鳥立つ (倭大后)

 楽浪の 大山守は 誰かためか 山に標結ふ 君もあらなくに (石川夫人)

  やすみしし わご大君の 恐きや 御陵仕ふる 山科の 鏡の山に
 夜はも 夜のことごと 昼はも 日のことごと 音のみを 泣きつつありてや
 ももしきの 大宮人は 行き別れなむ  (額田王)

皇后(当時は大后)の倭姫王は、生没年不詳であり、政治的には影の薄い人物でした。大后自身の感情はこの万葉集のみにあります。長歌を入れてわずか4首ですが、大后の矜持を感じさせます。
次の名前のわからない婦人も天皇の寵愛を受けた人でしょう。名前がないのはもしかするとわざと・・?かもしれません。舎人吉年も身分低いのにあるのに婦人に名がわからないのは解せないからです。私の勝手説ですが、大友皇子の母である伊賀采女宅子かもと思ってます。後にでてくる石川夫人は恐らく姪娘(石川麻呂の娘だから)であり、天智の後宮では二番目の地位でしょうし、身分低くとも跡取りの大友皇子の生母が歌わない可能性は低いです。(他に文書もないので”勝手説”ですけど・・)
舎人吉年と額田王は御言葉持ちとして、仕えていたのだろうと思われます。額田王は過去は兎も角、大友皇子の正妃十市皇女の生母の待遇だろうと思います。(言葉が他の妃達とは違う。)

影、や足らし、人はよし、標の意味、何故「船」がでてくるのか、等を詳細に、同時期のほかの万葉歌をあげつつする説明はわかりやすいです。
「他の妃は忘れても良い、でも私には大王の影が見えるし忘れられない」と言う大后は、この自分が最も大切にされていた妻だったと宣言していると思われる「人はよし・・」の歌は、著者の言う「後宮の争い」は大当たりだと思います。

額田王にしては凡歌といわれ、酷評された「やすみしし・・」の長歌の突き放したような歌い方の理由の解釈等は具体例をあげ、本当の哀しみには第三者のような表現をしてしまうことがある等納得のいくものであり、彼女が後宮の人間ではなく、御言葉持ちだったんだと再認識しました。

あと、倭大后の「いさなとり・・」の歌での船2艘説は成る程!でした。私も一艘と思っていたのでイメージしづらかったけれど、2艘と思えばわかりやすい。

言葉一つ一つの解釈が丁寧で具体例も多く、とても面白い本です。個人的に倭姫王の挽歌は万葉集で一番好きな箇所だったので、勉強になりました♪

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【2013/05/05 22:57】 | Books
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